ドキドキ!プリキュア 第49話 『あなたに届け!マイスイートハート!』

とうとう最終回を迎えたドキドキ!プリキュア。
アン王女、亜久里、レジーナ、アイちゃんにまつわる因縁を超え、トランプ王国国王を呪縛から解き放ち、
野心を抱いていたベールを飲み込んで復活を遂げたプロト・キングジコチューに、今、キュア・ハート達が対峙する!

愛はジコチューなのか。

トランプ王国王家が苦しみ、多くの人にとっても簡単に答えが出ない問いかけを改めてしてくるジコチューサイド。
ドキドキを取り戻す、と宣言するキュア・ハートも見方によってはジコチュー。

しかし、ハート=マナは「世界を独り占めしたって、一人ぼっちになってしまう。ジコチューがジコチューでいられなくなる」と言う言葉を投げかけます。

そして感心する私。
そうか。人によってはマナがジコチューに見えてしまうという事は、逆に言えば、多種多様な人がいると言うこと。
そういう「人々」がいるからこそ、ジコチューは成立するし、存在し続けることができる。
ジコチューが人の心に生まれたとき、ある人はそれを批判しても、別のある人が迎え入れてくれる。

愛。

人がいるかぎりジコチューが生まれ、
人であるがため、愛が癒やす。

一年通じて、マナの行動は愛なのかジコチューなのか?という話題がちらほらあり、それは私も疑問でしたが、
マナ自身の行動そのものではなく、心から生まれるジコチューと同じものではなく、人々との触れ合いにより、愛は生じる。
難しい問題に、見事な解を見たような気がします。

正直、ドキドキシリーズには不満もあります。


今まで、何回かこのblogでも書きましたが、マナね。
当初は、明るくて元気だけど、知性的でもある…ていうキャラだったのに、メインライターだった山口亮太さん以外の人が脚本を書くと、歴代ブラック家族的なアホの子に。
山口さんが劇場のためにローテーション抜けてからは更に進んで「マナは考える前に体が動く方だから」とか言われる状態に。
六花に『らぶれちゃ~?』とか言ってお互いにからかい合ってみたり、荒廃したトランプ王国の城でベール相手に「モチのロンよ!」とか啖呵切って、見事に出し抜いてみたマナさんをずっと見たかったんですよボクは(^^;)。

ちょうど同時期に見てた他番組で、自分たちで考え、時には悩みながらも自分たちで行動を決めていく事があったから、余計に その思いが募ってしまったんですね。
キュア・エースが『私と同じステージに上がって欲しい』と言ってたけど、そっちのステージじゃなくて、知性派のステージに上って欲しかった。
キュア・エースに半ば弟子入りするような形になり、三種の神器クエストに応じて、マナがますます主体性を失っていくような展開に少しモヤモヤした気持ちで見てました。秋ごろまで。

山口さんが映画やらずにTVシリーズに集中してたら違ったんだろうか?
でも、エース登場は予定通りだったろうし、それに、
あの映画を見ると、『モチのロンよ!』という言葉がマナにとってどれだけ大切な言葉なのか、その言葉をピンチに見舞われた時に言う事の重みを知れて、やはりあの映画は山口さんの脚本じゃないとな、とも思いますし、悩ましいところです。

ともあれ。
幸せの王子は、自身が銅像であるがために愛をモノを与えることでしか伝えられなかった
だから、愛を与えながら誰からも顧みられず、、モノとして打ち捨てられた。
相田マナはその行動と、その背を見せて愛を伝えた。
だから愛と声援を一身に受けてジコチューを退けた。

そして迎えた大団円。
将来のプリキュア総理大臣(笑)に、幸、多からんことを。

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